投手キャプテンとして好調のDeNAを引っ張る山崎康晃
セ・リーグの首位争いを演じる好調の横浜DeNAベイスターズ。その投手キャプテンとして奮闘を続けているのが山崎康晃投手だ。クローザーへの並々ならぬ思いを秘め投げ込むマウンドの陰には、闘病の末、2021年に亡くなったフィリピン出身の母・ベリアさんとの知られざる秘話があった。5月14日の母の日に合わせて、自身のルーツと母への思いを聞いた。〈全2回の#1/#2へ〉
「僕にとって、日本とフィリピンの2つのルーツがあることは誇り。自分にしかできないことがあるし、この環境で育ったことが僕を強く、優しくしてくれたと思う。半分、ではなく、2倍の可能性を与えてくれたと感じています」
山崎は今、そう言って胸を張る。母・ベリアさんはフィリピン出身。日本人の父親とは、小学校3年生の時に離婚し、山崎と2歳上の姉・麻美さんを女手一つで育て上げた。同級生とは違う家族の形。「ダブル」であることに複雑な感情を抱いていた時期もあった。
「うちはちょっと他のおうちとは違うんじゃないか……そう思っていた時期もありました。最初にそう感じたのは、健康保険証に書いてある名前がローマ字だったり、片親だったので、いろいろな申請手続きの紙を見た時ですね。普通ではないんだということが、コンプレックスに感じたことも正直あります」
ルーキーイヤーの山崎と母・ベリアさん(左)、姉の麻美さん(右)=2015年8月 ©︎SANKEI SHIMBUN
ベリアさんは子供2人を育てるため、朝は工場で働き、いったん家に戻って子どもたちの夕食を作ってから夜は飲食店に働きに出ていた。大好きな母に甘えられる時間は少なく、子供心に寂しい思いを抱えることもあった。
「今思えば反抗期も多少ありました。母のことで周りにからかわれたり、嫌なことを言われたりしたこともありました」
投手キャプテンとして好調のDeNAを引っ張る山崎康晃
今でも少しだけ後悔している、と振り返る一言がある。ベリアさんは昼夜問わず働くなか、土日は山崎がプレーする少年野球の当番もこなし、お弁当も作って持たせてくれていた。一方で、離婚した父親はその少年野球のコーチをつとめており、山崎にとって大好きな野球は父に会える時間でもあった。
「ある時、父に『お母さんのお弁当は美味しくない』って言ってしまったんです。父は料理人だったので『来週から俺が弁当を作るからお母さんに伝えておけ』って。それをそのまま、お母さんに伝えてしまった。子どもだったので何も考えずに『来週からお父さんに作ってもらうから、お母さんもうお弁当作らなくていいよ』って。お母さんは何も言わなかったけれど、すごく落ち込んでいるのがわかりました」
2017年の日本シリーズで登板する山崎 ©︎Naoya Sanuki
その思いに変化が生じたのは、状況がわかるようになった中学に入る頃のことだ。昼夜問わず働き、忙しい生活の中でも惜しみなく愛情を注いでくれる姿に、尊敬の思いが強くなっていった。