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母のベリアさん(右)とDeNA山崎康晃。2015年3月、プロ初セーブのボールをプレゼント

好調の横浜DeNAベイスターズの守護神・山崎康晃投手が語る「母への思い」。2021年に亡くなったフィリピン出身の母・ベリアさんの知られざる闘病秘話と、守護神への熱い思いとは。〈全2回の#2/#1へ〉

最愛の母・ベリアさんが亡くなったのは2021年10月28日、51歳の若さだった。その数年前から大きな病の告知を受け、闘病していた。

「3年くらい闘病していました。最初に聞いた時は(余命が)2年と言われて……ショックでした。でもその時に自分にできることは何でもしよう、と思ったんです。姉とみんなでサポートしようって、同じマンションの中に部屋を2つ借りました。そこで最後に家族のいい時間を過ごせたと思っています」

山﨑康晃 ©︎Kiichi Matsumoto

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フィリピンから、ベリアさんの母も呼び寄せた。山崎にとっての祖母と親子三代の時間を過ごし、自らのルーツを見つめ直す機会にもなった。

「(祖母は)当時89歳とかでしたかね。膝や腰も悪いんですが、日本に来て会うことができてすごく喜んでくれました。母は8人きょうだいの下から2番目。日本に出稼ぎに来てから、親父と結婚して僕が大人になった後もずっと仕送りを続けていたんですよ。これからはその仕送りも僕がサポートしますからって。逆に母をフィリピンに帰らせてあげたいとも思っていたんですが、コロナ禍もあってそれは叶わなかったですね……」

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母のベリアさん(右)とDeNA山崎康晃。2015年3月、プロ初セーブのボールをプレゼント

「キャンプ行きたかったな」ポツリと口にした母

山崎がプロ入り後、ベリアさんは毎年、沖縄・宜野湾で行われる春季キャンプを見学することを楽しみにしていた。グッズショップで応援グッズをたくさん買い込んでは、トレーニングに汗する愛息の姿に熱い視線を注いでいた。思い出の詰まった沖縄の地が大好きだった母は闘病中のある日、ポツリと「キャンプに行きたかったな」と口にした。居ても立っても居られなくなった山崎は思わず、ひとり飛行機に飛び乗っていた。

「シーズン中、月曜の休日でした。朝5時半に家を出て、那覇空港でお母さんが大好きだった(日本では沖縄にしかないファストフード店の)A&Wのハンバーガーとルートビアを買って、そのまま羽田にとんぼ帰り。沖縄滞在時間は40分くらいでしたね。その頃はもう、闘病生活も厳しい状況で、とにかく何でもしてあげたい、そこまでしなければ後悔すると思っていました。さすがにハンバーガーは食べられなかったけれど、ルートビアを飲んでくれて『おいしいね』って……。その言葉が聞けたことだけで嬉しかった」

宜野湾キャンプで投げ込む山崎 ©︎Haruka Sato

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「弱みだと思われたくない」隠し通した母の闘病

母の闘病のことは周囲には明かしていなかった。緊急時の対応のため球団幹部とマネージャーらには伝えていたが、チームメイトにも一切話すことはなく、球場に来れば常に明るい笑顔を見せていた。

「家族が頑張っている姿を周りに見せたくなかったんです。ただ、見事に僕のパフォーマンスが崩れたのがその時期だったんですけど(笑)。でも、絶対に母のせいにはしたくないし、言うことで周りに気を遣わせるのも嫌だった。弱みだと思われたくない気持ちもあって、言えなかったですね」

2015年のプロ1年目からクローザーをつとめ、2019年シーズンまで5年間で積み上げたセーブ数は実に163。絶対的な守護神だった山崎が、2020年シーズン以降は不調に陥った。リリーフ失敗が続きクローザー剥奪。母を支える日々は同時に、ピッチャーとして苦しみ、もがきながら自らと向き合う時間でもあった。